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(一財)碓氷峠交流記念財団

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明治28年(1983年)~ 日本初のアプト式

アプト式により悲願の横川―軽井沢間の鉄道が開通

▲傾斜との戦いを物語る当時の資料

古くから交通の要衝として知られてきた碓氷峠。江戸時代には、箱根と並んで最も重要な関所とされた碓氷の関があり、その跡地は群馬県指定文化財になっています。その碓氷峠に鉄道を敷設する計画が持ち上がったのは、明治時代初めのことです。当初は、東京と京都を結ぶ幹線鉄道のルートのひとつとして検討されましたが、難工事になることが予想されることから断念されました。

しかし、太平洋側と日本海側を結ぶ交通の要衝であり、明治20年代に入ると、再度鉄道を引く計画が持ち上がります。スイッチバック式やループ線などを設ける案も検討されましたが地形的に対処できず、ドイツのハルツ山鉄道を参考にアプト式を取り入れることで難題をクリアしました。そして明治26年(1893年)、トンネル数26、レンガ造りの橋梁18を要する難工事の末、悲願の横川―軽井沢間が開通しました。

▲「白鳥号」を牽引する、ED42。

最大66.7パーミル、標高差553mの急勾配を走ることになったのは、ドイツから輸入したアプト式蒸気機関車3900形で、横川―軽井沢間を約80分で結びました。その後、3920形や国産の3980形が導入されましたが、最高時速9.6km、1日24往復、1列車10両(客車)が限界で、トンネルの多さから煤煙対策も問題になりました。

→ 【2】日本初の幹線電化

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