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3月1日~10月31日
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(一財)碓氷峠交流記念財団

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明治45年(1912年)~ 日本初の幹線電化

輸送力や煤煙の解決のため、日本初の幹線電化へ

▲横川機関区にてEF63-1とED42-10

苦心の末に開通にこぎ着けた碓氷線でしたが、しばらくとすると輸送力や煤煙の問題が大きくクローズアップされるようになりました。そこで、明治40年代に入ると、輸送力のアップや安全性の面から電気機関車の導入を計画。当時の電力事情を考え、横川火力発電所を新設するとともに、碓氷線の両端にあたる丸山と矢ヶ崎の2カ所に変電所を設けることで明治45年(1912年)、日本初の幹線電化区間となりました。当初はドイツから輸入した電気機関車EC40形が走っていましたが、輸入した機関車を参考に国産を開発。ED42型(当文化むらで動態保存)等が走行し、碓氷峠を49分で結べるようになりました。

▲特急あさまとEF63形電気機関車

しかし、その後の日本経済の発展で、これでも輸送力が限界に達するようになります。昭和31年(1956年)には、勾配の緩い新線の建設が計画されましたが、多大な建設費がかかることから、碓氷線を複線化して、さらにアプト式から粘着運転方式にすることで輸送力の改善を図ることになりました。そして昭和41年(1966年)には、複線化が完了。碓氷峠専用の補助機関車(補機)、EF63形電気機関車や、信越本線用本務機のEF62形電気機関車により、横川-軽井沢間の所要時間は登り17分、降り24分と大幅に短縮されることになりました。

→ 【3】文化むらの役割

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