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| 直流電気機関車 EF65 520 EF65形は安定した性能と汎用性を持ち、我国の標準機関車として1965年から1979年の間に308両が製造されました。その中でも500番台機はブルートレイン用と特急貨物用の2種類のタイプが登場し、当時の高速列車を一手に牽引する花形機関車でした。この520号機は貨物初の100キロ運転を実現し、高速貨物輸送の基礎を築いた「特急貨物用」で、重厚な連結器廻りを特徴とする往年の名機であります。 なお、本機の修復にあたり、EF65−520保存会をはじめ、JR貨物高崎機関区の方々に絶大なご協力とご尽力をいただきました。 |
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蒸気機関車 D51 96 従来のD50形に変わって軸重を軽減し、誕生した蒸気機関車である。当初貨物用として製造されたが、旅客列車も牽引し、実に1115両も造られ、戦中、戦後を駆け抜けたベストセラー機である。重油併燃装置を付加、集煙装置の改良を重ね、本機のように煙突後ろのドーム(砂箱と蒸気溜めが入っている)を長く伸ばしたタイプは特に「ナメクジ」と呼ばれ、日本全国を「デゴイチ」の愛称で走り廻った。夜汽車を引く蒸気機関車の遠い汽笛は今も望郷とロマンを彷彿させる。現在、JR高崎支社でD51 498が、イベント列車として復活し往年の雄姿をうかがうことができる。 |
| ディーゼル機関車 DD51 1 蒸気機関車の後継機として誕生し、大出力エンジンを搭載、旅客列車用には暖房に使用するための蒸気発生装置を積み、重連運転も総括制御できるなど、様々な用途に使用されている。1号機と2号機以降では屋根の庇や前部の形状が違い、イメージが異なる特異の1号機である。現在も日本各地の非電化区間で活躍中であり寝台特急から貨物列車まで牽引しているが老朽化も進み、近年次世代の機関車に置き換えられつつある。 |
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| 除雪用ディーゼル機関車 DD53 1 除雪速度10km/hしか出ないDD14形に変わってDD51形の動力ユニットを使用した大出力除雪用ディーゼル機関車である。DD20形の後押しにより全出力を除雪用として使用することもでき、この1号機は北海道で活躍した。3機しか造られず、全機ロータリー部分の形状が異なっていた。大出力ゆえ投雪で民家や電柱などに被害を出し、皮肉にも里雪にはDD14の方が良いということになり山岳地区に追いやられることとなった。残りの2機は長岡、直江津に配備され、この1号機は昭和51年、山形の新庄に転属となり最後の使命を終った。 |
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| 直流電気機関車 EF15 165 旅客列車用に造られたEF58と客貨の双璧となる、貨物用の電気機関車で、202両と大量に作られ勾配区間の多い上越、奥羽線に配備され、その後全国の直流電化区間で活躍した。晩年は工事列車、イベント列車を牽引し吾妻線などで使用された。 |
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| 交直流電気機関車 EF30 20 関門トンネル専用機関車として造られ、本州及びトンネル内は直流、九州側は交流のため交直切替が車上でできる構造であり、海水による塩害腐食を防ぐため、ステンレス車体が採用されている。九州の玄関を守り続けたEF30形も現在はEF81形に置き換えられ、全機廃車となった。 |
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| 直流電気機関車 EF53 2 EF52形電気機関車を基本に改良を重ね、旅客列車用として誕生した。当初は東海道本線で活躍していたが、晩年は高崎線に配備され、後に山陽本線瀬野〜八本松間の勾配用補助機関車EF59に改造された。本機はEF59 11より復元したものである。 |
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| 直流電気機関車 EF58 172 旅客用電気機関車として暖房装置(蒸気、電気)を持ち、東海道、山陽、東北、上越、高崎線などで旅客列車を牽引した。完成直後はデッキ付の古めかしい機関車として誕生したが、後に当時はやりの流線形に変更された。本機は特急「はと」「つばめ」を牽引し、また日光線でお召し列車を牽引するなど時代の先端で活躍したが、晩年は荷物列車の先頭に立ち現役を退いた。現在は数両がイベント用として残されている。SL、EF57に続くEF58ブームを巻き起こした名機である。 |
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| 直流電気機関車 EF59 1 山陽本線、瀬野〜八本松間(通称セノハチ 22.5パーミル)の峠越え専用補助機関車として昭和37年12月、EF53 8から改造され山岳機関車用に歯車比を変更し、さらに重連運転や走行中に連結を開放できるように連結器も改造された。しかし、老朽化に伴い、EF61形200番台、EF67形機関車の投入により全機、瀬野機関区を去った。またこの瀬野機関区は横川機関区のように一区間のみの運行を担当する数少ない機関区でもある。 |
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| 直流電気機関車 EF60 501 昭和35年にF形初の高性能電気機関車としてEF60形が誕生し、以後この500番台が特急列車牽引用として製造され当時の花形、九州特急ブルートレインの先頭に立ち活躍した。形状の面では一般型とほとんど区別がつかないが、クリーム色の特急帯が特徴となっている。EF65形の出現により、特急運用から外され、晩年は貨物列車を牽引した。現在はEF60 19がJR高崎支社に残るのみで、全車廃車となっている。 |
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| 直流電気機関車 EF62 1 碓氷峠のアブト廃止に伴い造られた本線運転用の電気機関車である。横川〜軽井沢間の碓氷峠では補助機関車EF63形と協調運転ができ、旅客、貨物列車を牽引した。急勾配を越えるため、動力が効率よく線路に伝わる装置や空転防止装置、勾配抑速用の発電ブレーキ等を備えている。また高性能電気機関車の中では唯一のC−C台車である。 |
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| 直流電気機関車 EF63 1 碓氷峠専用の補助機関車で昭和37年に先行試作車として本機が造られた。走行性能は本線用機関車EF62形と同一であるが、急勾配(66.7パーミル)を走行する上で数々の保安装置として勾配抑速用の発電ブレーキをはじめ、列車暴走を防ぐための過速度検出装置、非常用の電磁吸着ブレーキ、勾配上で長時間停留した時にブレーキの空気圧が低下してもブレーキが緩まないためのロックシリンダ等の、安全装置が多数搭載されている。またEF62形電気機関車や169系、189系、489系電車と協調運転ができ、軽井沢側には多数の電気連結器(ジャンパー線)を備えている。量産型2号機以降は窓上にヒサシが付き、またスカートの形状も多少イメージが異なる。総勢25両が造られたが、全機とも横川機関区に配備され、碓氷の主であり平成9年9月まで峠のシェルパとして活躍し、長野新幹線の開業により碓氷線とともにその任を終った。 |
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| 交流電気機関車 EF70 1001 北陸トンネル開通に伴い、トンネル内の湿度と勾配対策機として、レールとの粘着力を強化するため従来のD形機から高性能なF形機が誕生した。初期形は前照灯が1灯式であったが本機は増備形で2灯式となり正面マスクのデザインが少し変更された。現在この形式は全機廃車となっている。 |
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| 交直流電気機関車 EF80 63 上野〜水戸間の電化により、常磐線用に造られた交直流電気機関車で、電気暖房装置を搭載し、特急「ゆうづる」をはじめ、旅客、貨物列車を牽引した。車体の軽量化を図るため1台車1主電動機方式が採用されている。本機には列車暖房装置に静止型インバーターが試験的に搭載されている。 |
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一般型気動車 キハ20 467 昭和32年からキハ17系気動車の後継車として造られた一般型気動車である。従来の気動車に比べ車体が大きく、乗り心地、居住性などが改善された。同形式で1126両が造られ、両側運転台、片側運転台、荷物合造車、北海道向け、2エンジン搭載タイプなど様々なバリエーションがあった。全国各地に見られたこのキハ20系も現在は数両を残すのみとなっている。 |
| 般型気動車 キハ35 901 大都市近郊のラッシュ輸送緩和のため、気動車で初めてオールロングシート、両開き扉等を採用した国電イメージで、関西本線天王寺口を皮切りに各地の都市近郊の非電化区間で活躍した。本車両は房総地方での潮風による塩害対策としてステンレス車体を使った試作型であり好評であったが、電化により八高線、川越線に転用された。 |
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| 荷物気動車 キニ58 1 昭和53年7月、キロ58から非電化区間の荷物用車両として、キハ47スタイルに改造し、常磐線(隅田川―平)で使用され昭和60年10月、荷物輸送廃止まで活躍した。荷物ターミナル間の輸送を目的としたため、車中は広々としたパレット(方面別の集荷コンテナ)輸送に適した荷物室となっている。 |
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| 3等客車 ナハフ11 1 増大する旅客需要に対応するため、徹底した車両の軽量化を図り、誕生したのがこの10系軽量客車で、従来の客車に比べ、約10tも軽くなり、軽量客車の基本型である。台車も振動に強く、また乗り心地も改善されたTR50を採用し、車内も軽量化のためプラスチックやビニール合板を多用し明るいイメージとなっている。このナハフ11はナハフ10の室内灯を蛍光灯に変えて、出入口の扉を折戸から開戸に改造したタイプである。多くの優等列車に使用されたが、高度成長の先駆けとなった就職列車にも使用され、郷愁を誘う客車であるが、現在は全車廃車となっている。 |
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| 3等寝台車 オハネ12 29 10系軽量客車を基本とした寝台車である。車体の裾を絞り、車幅を拡大し、居住性を高めた車内となり、3段式寝台で54のベッドがある。昼間は座席車として使用するため、開放感を持たせるために仕切板を跳ね上げることができる。昭和42年には冷房化改造により自重が増えたため、ナハネ11 29からオハネ12 29と名称が変更された。特急、急行列車として活躍したが、晩年は普通列車の寝台車「ながさき号」として長崎に配置されていた。 |
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| 食堂車 オシ17 2055 占領下の進駐軍より返還された車両台枠を改造した特急用食堂車である。軽量客車ナハ10系の車体構造を活かし、定員増をはかり、冷房装置、4人掛けテーブルなど以後造られた食堂車の基本となった。本車両は、昭和初期の2等寝台マロネ37に始まり、マハ47・マハネ37・マハネ29・マハ29等と実に7回も名称を変えている。食堂車として活躍した後、昭和49年に電気機関車用教習車として改造されたオヤ17 1から復元され、その時の計器類が現在も車内に残っている。 |
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荷物車 スニ30 8 昭和2年、鋼製荷物車スニ47 807として誕生し、翌年、称号改正によりスニ36 507、昭和16年の改造でスニ30 8となった。荷物輸送に活躍し、同形式では当時の進駐軍用車両として、Baggage Car(荷物車)、P.X Car(販売車)、Mail Car(郵便車)として使用されたものである。2重屋根にリベット(鋲)、TR13台車に魚腹形台枠と当時をうかがえる車体となっている。老朽化のため昭和36年、スエ30 9に改造され故障列車の救援車として最後の活躍をした。本車両はスエ30 9より復元したものである。 |
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1等寝台車 マイネ40 11 占領下の進駐軍用で、当時の国鉄客車としては豪華な1等寝台車として誕生した。車内は半分がコンパートメント(個室)式、他はプルマン(開放)式となっており昼間はクロスシートとして使用された。また当時稀な空調装置も付いている。その後、昭和30年7月の称号改正でマロネ40 11となる。老朽化のため昭和43年3月、工事用宿泊車オヤ41 2に改造された。本車両はオヤ41 2から復元したものである。 |
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3等郵便荷物合造客車 オハユニ61 107 大正10年に誕生した木造客車、ナハ24 644を昭和30年11月、鋼体化に改造してオハユニ61 107となった。車内は半分が3等客室で、他は郵便室、荷物室と分けられている。郵便室には車内で郵便物仕分けのため、郵便棚が設けられている。木製の床や椅子、ニス塗りの室内と当時をしのばせる車両である。日本各地のローカル線で活躍した。 |
| お座敷客車 スロフ12 822 オロ12 841 急行形12系客車を改造し、お座敷客車として使用された。車内は畳敷き、座椅子を取付け高崎を拠点に全国各地を走ったが老朽化のため廃車となった。 |
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| 重車 ソ300 線路工事等のため従来のソ200を改良し開発された操重車(クレーン)である。走行用ディーゼルエンジンを持ち、自走が可能であり、また35tまで持ち上げることができ作業効率が高く、各地の橋桁等の架け替え工事に威力を発揮したが、老朽化により廃車となった。 |